2012年9月17日月曜日
別れ
この夏、15年来の友人を亡くした。
突然だった。3回続けて友人の携帯番号から自分の携帯電話へ着信。いつもはこちらが電話を取らなければ、留守電にメッセージを残すかメールで済ますか、そのどちらかだった。それ以前に15年間二人の間に急な用などなく、互いに気が向いた時に電話をしたり会ったりしていた。
だから自分の携帯に3回連続で友人の携帯番号から着信があった時点で、なんか嫌な感じがした。慌てて友人の携帯に電話をかけると、友人の声ではない。電話に出たのは友人の弟さんだった。自分が電話を掛けてきた理由を少し取り乱しながら聞くと、躊躇いながら弟さんは友人が亡くなったことを告げ嗚咽を上げた。自分も泣き崩れた。
この15年間、毎日のように会っていた時もあれば、1年以上会わない時期もあった。でも会えば、たわいもない話で盛り上がって、悩み事も相談し合った。いるのが当たり前で、これから先も気が向いた時に遊んだり飯を食べに行くものだと思っていた。
愚かな事だけれど、いなくなってから友人の存在の大きさと15年という時間の重みに気付く。自分の身体の中に大きな空洞が出来てしまった。
友人が亡くなって1ヶ月以上が立ち、電車は相変わらず普通に動いているし、街に出れば人で溢れ返っていて、世界は友人の不在を気にもせず回っている。ふと、そんな事を考え、無性に腹が立つ。そして、そんな時はいつも一粒だけ涙が頬を伝う。
2012年1月5日木曜日
旅打ち 笠松競馬
2011年12月29日
昨年末の名古屋旅行の折に岐阜の笠松競馬場に遊びに行った。
名鉄線で笠松駅下車(名古屋から30分、岐阜から5分)。その笠松駅から徒歩3分。木曽川に沿いに競馬場がある。笠松は名馬オグリキャップ(写真上:同馬銅像)や、現在中央で活躍している安藤勝己ジョッキーを輩出している地方の雄である。
その笠松にも熊本の荒尾競馬場のように廃止の話があるらしい。どこの地方競馬場も経営が苦しいようだ。
しかし自分が訪れた日は年末ということもあって、家族連れや自分のような旅行者のような姿も多く、当日に大井競馬場で行われたGⅠ「東京大賞典」の発売も行われていたので、結構賑わっていた。
笠松競馬場の特徴はパドックがトラックの内側にあって、観客席からだと見えにくい。どうせパドックなど見ても馬の良し悪しなど判断できる目は持っていないのだけれど、それが難点である。あと荒尾や川崎に比べて、直線が短いような気がした(調べたら川崎が300m、笠松が201m)。開催されていたレースは1400mか1600mのどちらか。
スタンドからは名鉄線の木曽川橋梁が見え、頻繁に赤い電車が行き来する。荒尾は有明海が一望できる”海が見える競馬場”だったが、こちらは”電車が走る競馬場”でこれはこれでなかなか乙な感じがした。
これが旨かった。揚げたてサクサクのカツに、かかっている味噌ダレがくどくなくて、絶妙だった。それに赤だしの味噌汁も絶品。
馬券の方は東京大賞典含む6Rやって、なんと3レース的中!!オッズ的には安かったのだけど、7000円ほどのプラスが出た。味噌カツ、当たり餅という名のお餅(写真)を食べたおかげなのか、絶好調だった。
その他にも海老フライ、串カツ、唐揚げ、大判焼きなども食べ、財布もお腹も一杯になった良い事だらけの笠松競馬だった。
新春 川崎競馬
2011年9月6日火曜日
荒尾競馬廃止
熊本の荒尾競馬、廃止正式表明
http://www.asahi.com/national/update/0905/SEB201109050040.html
熊本県荒尾市の荒尾競馬を運営する組合管理者の前畑淳治・荒尾市長は5日、経営難を理由に12月で荒尾競馬のレースを終了し、今年度での事業廃止を正式に表明した。
前畑市長はこの日開会した市議会の冒頭、「断腸の思い」として事業廃止を表明。売り上げ減少に歯止めがかからず、多額の累積赤字で苦しい資金繰りを市の貸付金でまかなっている現状などに触れ、「本来目的の地方財政に貢献することが極めて困難になった」などと廃止理由を説明した。
荒尾競馬は1928年開設。現存する地方競馬では最も古い歴史がある。地方競馬の廃止は、05年の宇都宮競馬(栃木県)以来。今後は数十億円とも見込まれる巨額の清算費用の捻出などが課題となる。
(朝日新聞 9月5日)
2月に訪れた荒尾競馬場が今年一杯で閉鎖することになった。
荒尾競馬場はコースの向こうに広大な有明海が広がっていて、その景色の中を競走馬が駆け抜ける日本一美しい競馬場だった。競馬場に住み着いた野良猫が観客席を走り回っていたり、場内で農家のおばちゃんたちが野菜を売っていたり、のんびりとした雰囲気も良かったので、今回のニュースが残念でならない。ただ5頭立ての寂しいレースもあったり、パドックの時点でくたびれている馬が出走していたり、運営の厳しさも垣間見えた。赤字続きで打つ手がなくなってなくなってしまったのだろう。
閉鎖後の騎手や調教師や厩務員、そして競走馬の行方が気になるし、同じく赤字を抱えている相互開催をしている佐賀競馬(こちらも早めに訪れなければ・・・)にも影響が出そうな気がする。
毎週馬券を買っている熱心な競馬ファンではなく、旅先やフラっと競馬場に足を運んで100円ずつ馬券を買って細々と競馬を楽しむ自分ではあるが、競馬場が無くなるのはただただ寂しい・・・
2011年6月21日火曜日
濹東散歩
2011年6月16日木曜日
渡韓 2010年4月 烏頭山統一展望台
昨年4月の韓国旅行のこと(無精なので、今になって書く)
ソウルから一番手頃に北朝鮮を見る事ができるのが「烏頭山(オドゥサン)統一展望台」。
北朝鮮国境といえば一般的には板門店が有名だけれど、ツアー客しか受け入れてないので断念 (日本の旅行会社からでも簡単にツアー参加できる)。
こちらは一人でも外国人でも関係なく気軽に訪れることができるので、気ままにフラッと行ってきた。ソウルから電車に乗って1時間、それからタクシーで20分。あっという間に到着。感覚としては自分の家から新宿や上野に出かけるような感じ。首都ソウルからこんな近くに北があるのは驚いた少々。
展望台3Fで模型やビデオ解説を見る。
烏頭山統一展望台はちょうど南北を分断する臨津江(イムジン河)とソウルの中心を流れる漢江(ハンガン)の合流地点にあって、標高118mの古代の城跡に建てられている。臨津江を挟んで展望台から対岸の北朝鮮まで3.2km。川幅が一番狭い地点で460m。靄がかかっていたものの、肉眼ではっきりと対岸を捉える事が出来た。
対岸の北朝鮮黄海北道開豊郡には宣伝村があって、4000人が住んでいて65%軍人、35%農民の割合となっている。
観光地でお馴染みの硬貨を投入する望遠鏡(500ウォン)で、宣伝村の風景を見ることが出来る。
水田が広がっていて、灰色の無機質な集合住宅のような建物が数棟立ち並んでいた。結構な人数の農民や子供なども確認できる。
でも人がいるんだけど、農作業をしている者、リアカーを引いている者、農道を歩いている者、全員単独行動だった。まあ普通なら夫婦、家族、カップル、友人、ご近所さん、2,3人で固まっていてもいいはずなのに、みんな独り。
この宣伝村の人々はただ対岸の観光客に普通に生活しているのを見せるのが仕事なのだろう。なかなか興味深かった。
展望台1Fや2Fには北朝鮮の生活用品などが展示されていたり、土産コーナーでは北朝鮮の焼酎や紙幣やグッズなども買えることができ、お手頃に楽しめる。
【行き方】(為替 ¥100 - 1200w)
片道料金
京義線 ソウル駅から金村駅 (1500w) 約1時間
タクシー 金村駅から烏頭山統一展望台(9500w) 約20分
烏頭山統一展望台入場料(2500w)
ポイントとしてはタクシー運転手に行き先が通じない可能性があるので、あらかじめメモ帳に「烏頭山統一展望台 오두산 통일전망대」、帰り用に「金村駅 금촌역」などハングルで目的地を書いておくと、あとは運転手にそのメモ帳を見せればいいので間違いがおこらない。ハングルも記号だと思って書けば、意外と簡単に書ける。
登録:
投稿 (Atom)