「郷里の町を貫流する大川が、町の真ん中で三つに分かれて、間もなく下流でまた一筋に合流する。その三本の川の間に出来た二つの島を東中島、西中島と呼び、何れも表通りを除く島全体が遊郭である。夜になると、鉉歌(げんか)の声が暗い川波の上を伝って流れるのである。
三つの川に架かった橋は、京橋、中橋、小橋と云い、両端の京橋と小橋の下はいつも水が流れているけれども、中橋の下はふだんは一面の磧(かわら)、夏には雑草が生い茂り、冬は枯草の根元を頬白や鷦鷯(みそさざい)が駆け廻っている。
中橋の、西中島の橋詰に稲荷の祠があって、綺麗な女の御詣りが絶えない。私の婆やは、どう云う心願があったのか知らないが、秋の薄寒い日暮れに、私の手を引いて、片手に油揚げをさげて、そお稲荷様の祠に参詣した。」
内田百閒「稲荷」(ちくま文庫 内田百閒集成13「たらちおの記」収録)より抜粋
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