2011年6月4日土曜日

岡山旅行 京橋を渡る


「郷里の町を貫流する大川が、町の真ん中で三つに分かれて、間もなく下流でまた一筋に合流する。その三本の川の間に出来た二つの島を東中島、西中島と呼び、何れも表通りを除く島全体が遊郭である。夜になると、鉉歌(げんか)の声が暗い川波の上を伝って流れるのである。
 三つの川に架かった橋は、京橋、中橋、小橋と云い、両端の京橋と小橋の下はいつも水が流れているけれども、中橋の下はふだんは一面の磧(かわら)、夏には雑草が生い茂り、冬は枯草の根元を頬白や鷦鷯(みそさざい)が駆け廻っている。
 中橋の、西中島の橋詰に稲荷の祠があって、綺麗な女の御詣りが絶えない。私の婆やは、どう云う心願があったのか知らないが、秋の薄寒い日暮れに、私の手を引いて、片手に油揚げをさげて、そお稲荷様の祠に参詣した。」
 
 内田百閒「稲荷」(ちくま文庫 内田百閒集成13「たらちおの記」収録)より抜粋




「たまたま門口に立出る娼妓を見るに紅染の浴衣にしごきを巾びろに締め髪をちぢらしたるさま玉の井の女に異らず。」

 永井荷風 「断腸亭日乗」1945年6月21日



 昨年の夏に訪れた岡山のこと
 少年時代の内田百閒がしばしうっとりし、戦渦の東京から逃れた永井荷風が東京・玉ノ井遊郭を思い出した、岡山の旭川に浮かぶ二つの中州(東中島と西中島)にかつて存在していた中島遊郭。
 当時の人たちは「京橋を渡る」と言うのを、遊郭へ遊びにいく際の隠語に使っていたようだ。
 売春防止法が成立された1958(昭和33)年以降は廃れていき、現在では静けさに包まれ、人々から忘れ去れたもの悲しい風情が漂っている。かつて遊郭だったと思われる古い家屋がいくつか現存していて、一瞬当時の華やいだ世界に迷い込んだ気がした。(2010年8月30日探訪)

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